宇土高校文化祭 お茶会レポート①「熊本に伝わる”肥後古流”」

こんにちは。

秋が少し?深まったような今日この頃、いかがお過ごしでしょうか^^

秋といえば食欲の秋、運動の秋、などなど活動しやすい季節ですが、

今回は「文化の秋」ということで宇土高校文化祭にお邪魔してきました。

と言いますのも、文化祭の中で行われる茶道部さんのお茶会での茶菓子を毎年納品させていただいておりました。

お茶の席で一心堂の菓子をいただいたことがなかったので、今回初チャレンジです!

お茶会のお作法もわからない、ずぶの素人ではありますが一体どうなってしまうのか…!

まずは熊本に伝わる「肥後古流」からご紹介していきます。

薬から武士のたしなみへ、「茶道」とは?

茶道とは「湯を沸かし、抹茶を用いて茶をたて、客人に振舞う行為、またその芸道」のことで、日本でのはじまりは中国(唐)の僧が嵯峨(さが)天皇にお茶を振舞ったことからでした。

その頃のお茶は、お茶の葉っぱを蒸して固めたものを薬として煎じて飲んでいたそうです。

鎌倉時代、臨済宗の開祖 栄西が抹茶を飲む習慣を伝え、そのころから武士階級に広まっていきます。

室町時代〜安土桃山時代には豪華な美術工芸品を飾った座敷で高価な茶道具を鑑賞しながらお茶を飲むスタイルでした。

そんな中禅宗の僧侶 村田珠光は、奥深い、趣を感じさせる静かで落ち着いた境地を求める「侘び茶」を説きます。

弟子の武野紹鴎の活躍でさらにその流れは加速していくのでした。

また、茶は娯楽から武士の社交術という立ち位置を確立します。

武野紹鴎の弟子であった千利休はその流れを受け継ぎつつ、独自のスタイルを形成します。

茶道具に作法を一体化させ、茶室はシンプルで無駄なものを一切省いていきました。

千利休の奥義を受け継ぐ?! 熊本の「肥後古流」

「表千家」や「裏千家」など、現代でも有名な流派はいくつもありますが、これらは千利休からその子供たち・弟子たちによって広がっていったものなんだそう。

今回参加した宇土高校の茶道部はどうかといいますと、熊本で受け継がれる「肥後古流」という流派にあたります。

肥後古流のはじまりは、肥後国熊本藩初代藩主 細川忠利がお茶の指南を受けたことから始まりました。

千利休からの流れ

細川忠利の父 細川幽斉は「お茶をたてることができなければ武士ではない。『文武』を兼ね備えてこそ武将である」と説きました。

その教えもあってか、千利休の孫弟子 古市宗庵に忠利への茶道の指南を依頼します。

古市宗庵の師は千利休から茶の奥義を伝えられた 円乗坊宗円でした。

宗庵自身も千利休からの「古風の茶の湯」を受け継ぎます。

そのため肥後古流は千利休の流儀をそのままのかたちで伝える流派と言われています。

そして忠利の子 細川忠興は千利休の高弟「七哲」の一人となりました。

そんな肥後古流は幕末まで武士のみに伝えられ、町人や商人にもほとんど伝えられませんでした。

それもあってか肥後古流の作法の中には拳を握ったり、刀を振るような動きがあったりと、武士の動きがそのまま残っています。

そんな熊本の独自の文化、肥後古流を引き継ぐ宇土高校茶道部。

次回、いよいよ文化祭本番です^^

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